今日は毎日放送の局長面接&筆記試験。

 

12時半から試験で、東京から大阪までは3時間半かかるので8時には家を出ようと思っていた。

しかし、、、、、

 

時計を見ると、もう9時やんけー。

 

間に合わん。泣きそーとか思いながら、各乗り換えを1分でクリアしていくという奇跡で切り抜け、なんとか3分遅刻で済んだ。

 

ほんまどじやー。あれだけ寝坊したらダメって頭では分かっていても、体はなかなか反応してくれないものだぁ、、

 

肝心の局長面接では、前日から準備してたことも言えず、たじたじになって話してしまった。

 

やったことといえば、スーツで踊ったことくらい。再びやね。

 

あー、せっかく東京から行ったのにうまく自分を出し切れんとほんとへこむ。

 

そしてそれが自分の弱さやと再実感。やっぱ志望度が高いほど、気持ちが入ってしまってうまく話せない。

 

恋愛と同じで、めっちゃ憧れの女の子であればあるほど、うまく話せなくなるってことかな。

 

うーん。恋愛とはまた違う難しさや。。。反省。

 

 

帰りの新幹線では、東京から受けに来てた早稲田の女の子と、東大の女の子と仲良くなった。

1人は、TBSも名古屋テレビも最終に残ったツワモノ。もう1人は、家にテレビがないのにテレビを受けてる変わった子。

 

2人とも素な自分を出すのがうまいなー、てかキャラが分かりやすいっていう印象だった。

ほんといい子でした。

 

そんな感じで、大阪疲れたぁ。

 

今日は朝から大和証券1次面接。

 

エントリーシート見て、「ストリートダンスってどんなの?」と言われ、踊った。

スーツでランニングマンとかめったにできる経験じゃないなぁーとか思いながら笑顔でやってみせた。

 

昼からみずほ1次面接。

 

エントリーシート見て、「ストリートダンスってどんなの?」と言われ、またきたかぁーと思い踊ろうとした。

そしたら面接官に、「ここは人が多いので遠慮してください」と冷静に言われてしまった。。

空回り。。

 

夕方は三井住友海上1次面接。

 

優しそーなイケ面の面接官が、面接に対するアドバイスを丁寧にしてくれた。こんな面接初めてで少しびっくりしたけど、その中でもしっかり学生を見てきてるなーって感じた。油断しないようにしないと。。

 

 

明日は大阪だぁ。。

今日は朝からリクルートの筆記。そしてそのまま午後からは、遂に来ました電通の筆記。

 

無難にこなしたので、次の面接行けたら頑張るぞぃ!

 

休む間もなく日本生命1次面接。いい人と会えてよかった。

 

「たった1回きりの就職活動、いろんな人と会ってくださいね」

 

同じ言葉でも、気持ちが動かされたり、動かなかったり、、、

 

その違いって何だろう?

 

 

 

今日から筆記試験が始まった。

大和とみずほ。

 

夜9時くらいに大和から電話が。

 

数学が満点だったらしくほめられた。

 

でも、就活は面接勝負ですからーーーー残念

 

次の面接頑張らないと。。。

朝から大学に行って科目登録。

 

単位マックス44単位のおれは他の友達より時間がかかる。

はぁ、、4年生にもなって情けないよー。

 

とりあえず、最近来年のことを考えている自分は、報道の講義を何科目か取ることにした。

 

自分が志望している「報道」というものが学問としてどうやってとらえられるのか、それを勉強することで、またいろんな見方ができるんじゃないかって思って取ってみた。

 

楽しみだぁー。

今日は家の大掃除をした(してもらった?)

ベッドの位置も変え、かなり気分転換☆

それでも雑誌はほったらかしなので1ヶ月中にはきれいにしないと。。

 

そうこうしているうちに、毎日放送から1次面接通過の電話が!!

 

次は大阪で筆記アーンド局長面接らしい。

いきなり正念場がやってきた。

 

やってやるぞー。

ずーっとマスコミばっかやってたので、今さらながら金融業界の勉強をしようと、今日は大和証券のリクルーターの方と会った。

 

なんか、、、なんで金融業界を志望してるか分かんなくなっていた自分がいて焦った。

 

これから面接までに固めていかないと。  焦る。。

 

博報堂が連絡来なくて諦め気味。。

今日は大阪から新幹線に乗って、そのまま東京で毎日放送の1次面接。

ESで6900→450に絞られてたらしい。。

 

厳しいなー。とりあえず、風邪で意識が朦朧としてる中、無難にこなした感じ。

 

どうだったんだろ。。

実家に帰ってから風邪を引いてしまい、今日はずっと寝ていた。

 

そのせいで、母親に最後の一言を言えなかったのがすごい心残りだったので、帰りの電車の中でいっぱいメールした。

 

いつも連絡できなくて、心配かけてごめんなさい。もう少し東京で頑張らせてください。。。

 

そんなことをメールしたら、一言だけ返事が。

 

 

家族がばらばらなのだからそれぞれがしっかり生きて下さい

 

 

たった一言だったが、今まで誰よりも苦労してきた母の言葉だったので、重く、力強く感じた。

 

今回実家に帰って感じたこと。

 

東京に出てきた自分のことを心配し、応援してくれる人達がいるってこと。家族だったり、塾の先生だったり。。

 

すごい嬉しかった。

 

いつも何も考えないで日々過ごしている自分が情けなく、これからは毎日を大切にしようって思った。

 

 

 

母親のためにも、

自分のことを応援してくれる人のためにも、

そして何より自分のために、

これから頑張って生きていこう。

今日は1年半ぶりの実家。

 

実家は兵庫県の豊岡市っていう人口4万人の小さな市。こうのとりが有名かな。

 

うちの家族は4月からばらばらになる。

 

弟は、今春から某国公立大学の医学部に入学が決まり、一人暮らしをすることに。自分の車も持ってて、ほんとに人生ばら色って感じやなー。

 

母親は、今春から山口の実家に帰り学校(中学か高校かな?)の先生を続けていく。

 

父親は、今春から大阪に引越し、大学で教え続けるらしい。

 

つまり、兵庫の実家は、今春から誰もいなくなるってこと。地元がなくなっちゃうのだ。

 

両親の仲が悪いのが原因だけど、何にもできなかった自分にも無力感を感じる。。

これが4人で過ごせる最後の実家になる。だから今回1年半ぶりに帰った。最後の実家を満喫しようと思った。

 

地元がなくなるって不思議な気分。。

大学入ってから、年に1度くらいしか戻ってないから、そんなに「地元大好き」ってほどじゃないけど、それでもいっぱい思い出がある場所。

 

この家でいつも毎日ご飯食べてて、勉強して、家族4人で住んでたんだなーって考えたら、なぜか泣きそうになった。

 

今までありがとう、わが家。

 

引越しの手伝いをしながら、ぼろぼろになった柱や、雨漏りの跡が残る障子、落書きのあとがうっすら残るテーブルを見ながら、もうこの家に帰ってくることはないんだなって実感した。